今年も福島の子どもたちが明石に「保養」にやってきます。
2週間の内、5日間(7月30日から8月3日)を涼しい佐用町で過ごします。
佐用町昆虫館は、この間、イベントとサポート基地として機能します。
さて、今年は仙台出身の清水哲哉さんが5日間常駐。いろいろとバックアップ活動をお願いしています。
三木が31日から2日まで。
佐用町昆虫館の出番は、8月1、2日。
1日は、午前中に三河小学校の全校児童と交流、プールを楽しみます。
午後は昆虫館でお弁当を食べ、会津出身の大谷先生が「ハチは怖くない」という授業を、
橋本さん、平井春子さんと茂見節子さんが、学年別におもしろ昆虫クイズや紙芝居を!
そして8月2日の午後は、横山正先生が三河の子どもたちの昔懐かしい夏の川遊び、
「チチコ(カワヨシノボリ)釣り」を指導してくださいます。
7月16日の新聞(神戸)に取り組みが紹介されました。

※写真は、三木が昨年、明石公園で開いた昆虫教室です。
(報告:三木進)
福島県から避暑(避放射性物質)に来た、子ども達を対象に
昆虫教室と観察、採集会をひらきました。
「福島のこどもを招きたい!明石プロジェクト」の主催。
7月30日から8月11日まで、福島市や郡山市などから中学生~1歳児28人と、
幼児のお母さん、おばあさんらも明石に。
普段、外で思いっきり遊べない子ども達を明石に招き、
ピクニックや池でのボート、虫捕り、海でのカヌー、須磨水族園、
淡路への遠足と、とことん楽しんでもらおうとの企画。
2日午後、まずは皆が宿舎にしている
県の高校生のための宿泊施設「あさぎり寮」で昆虫教室。

しっかりメッセージを込めて、虫の観察に園内へ。
朝の5時から起きてカブトムシ探しをしている子ども達だけに、
みんな生き生きと、福島では見られないクマゼミを取ったり、シオカラトンボを採ったり。

チョウでは、
アオスジアゲハやゴマダラチョウ、ムラサキシジミ、ヤマトシジミまでゲットしました。
最後に、「ありがとう」の言葉を添えて、全て逃がしました。
ナチスの時代、
こどもたちが押し込められた部屋には、
チョウの絵が書かれていたそうです。
開放のシンボルなのです。
3日の神戸新聞・明石版に紹介されていました。

(三木進)
東北支援活動の一つ。
岩手県立博物館における陸前高田市立博物館の被災標本の修復が
新聞に載りました。
岩手日報は、7月29日(金)の11面に、全面を使った文化財レスキューの特集の中に、
「兵庫県・佐用町昆虫館」が被災経験を生かして協力していると、作業の写真入りで紹介してくれました。

神戸新聞は、7月31日(日)のこどもの向けのページ「週刊まなび」に、
紙面の三分の二を使って「佐用町昆虫館を運営しているこどもとむしの会」の活動を紹介。
陸前高田市立博物館の熊谷賢さんの写真と、
「こどもとむしの会提供」と、ノンブル入りで被災したクワガタムシの写真が使われています。
藤井先生もばっちり写っています。
藤井先生、熊谷さんの言葉は、とても印象的です。

ぜひ、参加してください。
(報告:三木進)
7月19日(火)から25日(月)にかけて、
二度目のレスキューに行って来ました。
家族会員の妻との二人旅でした。
迫り来る大型台風に、計画の変更を覚悟していましたが、
無事、いわて花巻空港着。
1時に花巻を出て陸前高田市へ、
さらに陸前高田市立博物館(旧生出小学校)へ回って、
水沢インターから盛岡、滝沢インターを経て宿の網張温泉までの300キロ弱。
それを4時間半でこなす、強行軍。
陸前高田市は、地盤沈下が著しく、このところの雨でまるで湖のようでした。

車でさらに30分弱、山間部にある旧生出小学校に。

文書や拓本、民具、漁具から化石、貝類の標本などの修復に当たっておられました。
20歳代の女性が多かったです。
再建に励む熊谷さんや砂田さん、前館長、女性の鈴木さん、及川さんらが迎えてくださいました。
今回、宮武頼夫(元大阪市立自然史博物館長)、水野辰彦(カミキリ屋)、
清水哲也(放射光施設スプリング8研究者、昆虫写真)、
山本勝也(北須磨自然観察クラブ代表)、前藤薫(神戸大学教授)、
谷角素彦(月刊むし社)、岡田浩資(カミキリ屋)、
谷田昌也(蛾屋)、内藤親彦(NPO法人こどもとむしの会理事長、ハバチの権威)の各氏と、
私の10人からの採集、標本作成用具を詰めたダンボール箱4個は、宅配便で、すでに到着。

一覧表をお渡しすると、砂田さんは、皆様のお名前を、内容を何度も読み、
「谷角さんには、2度出会った。この方は…」と話されていました。
熊谷さんは、私が当日持ち込んだ長竿3本を前に「これでゼフが採れる」と喜んでくださいました。

余分があれば、陸前高田市立博物館(旧生出小学校)から、
採集、標本作成道具を希望される被災者にお配りくださるよう、
お願いしてきました。
被災した虫屋さんの心の復旧、復興基地になればと願います。
それが「こどもとむしの会の皆の思いです」と託してきました。
何とか宿の夕食に間に合ったものの、ムチャをした初日でした。
2日目から5日目までは、岩手県立博物館で藤井千春先生のご指導の元、
まじめに修復作業に励みました。岩手蟲の会の千葉先生が、ご夫妻で合流してくださるなど、
とても充実した日々でした。
うれしかったのは、前回修復した標本が燻蒸を終え、収蔵庫に収まっていたことです。

そして作業も進んでいました。

「私に何ができるの?」と、ややご機嫌斜めだった嫁さんは、
ソーティングから入り、

泥落とし塩抜きも、持ち前の集中力と根気で克服。いつの間にか、「私に向いているかも!」とのたまい、
私の作業に「もう一回やり直し」とダメ出しするまでに。

ややこしい蛾のサンプルに挑戦。

最終的には、

まる2日かかった作業でした。
作業が済んだ標本箱には、泥とガラスがあるだけ。

岩手が誇る明治の博物学者・鳥羽源蔵氏の標本も、少し修復しましたが、
中に、竹串で作った昆虫ピンを見つけ感激。針の交換も考えましたが、
見事に一体化しており、当然のこととしてそのままにしておきました。

前回、標本箱ナンバー100から作業し、95まで。今回はいくつかやって78で終わりました。
このほかに、先の鳥羽源蔵さんの標本や、タッパーに入ったのやら、
大型ドイツ箱にして200箱分くらい、残っています。
みなさん、どんどんレスキューにご参加下さい。
今回、ど素人の嫁さんが参加することで、
指導する人と、本人の「どうすればうまくできるか」という探究心があれば、
初めての人でも、十分できることがわかりました。
出来る範囲で、陸奥(みちのく)の蟲のデータを拾いましょう。
今回は、国立科学博物館、千葉県立博物館、新聞社等の取材も受けました。
残る2日半は、自分達のために使いました。盛岡から八幡平を通って秋田県の乳頭温泉に。
そしてお花畑が有名な秋田駒ケ岳に登りました。

秋田駒ケ岳には、ニッコウキスゲが一面に。

コマクサもロックガーデンに。

眼下の田沢湖は素晴らしく、
「ムーミン谷」の愛称を持つお花畑にただ一筋続くトレイルは、
乳頭温泉の素晴らしさとともに、忘れられません。
というのは表向きで、カミキリ屋がシーズンに岩手、秋田に来たのは、
「東北」「陸奥(みちのく)」の名を冠する3種のため。
6月にミチノクケマダラカミキリとトウホクヒメハナカミキリを落としたので、
残るはミチノクヒメハナカミキリただ一種。
東北地方の高標高地に限って分布し、さらに個体数も少ないときている。
おまけに八幡平も秋田駒ケ岳も頂上部は特別保護区。採集は絶対に、ご法度。
事前に、除外地域をチェックして行ったが、さて結果は…。
長々と、ありがとうございました。
(報告:三木進)
八木先生のご紹介で、6月13日(月)から19日(日)まで、
盛岡、陸前高田の両市にて昆虫標本のレスキューをやってきました。
久保さんを中心にした当会災害復旧支援委員会の斥候役です。
現地の皆様に、心から受け入れていただき、
岩手県立博物館の藤井千春・主任専門学芸調査員(生物)の見事な心配り、気配りによって、
私たち「こどもとむしの会」ならではの、支援活動が見えてまいりました。
再び7月中旬にも、現地に行きたいと考えています。
一人でも多くの皆様がご参加くださいますことを、
心よりお願い申し上げます。
まず、陸前高田の現状です。
ただ広大な平面が広がり、所々に瓦礫の山が。

被災した車が海岸沿いに固めて置かれていました。左手に海が見えます。

「高田松原」と歌われた防風林、
津波に備えた松の大木は、ことごとく流され、切断して固められていました。

ほとんど、誰もおらず、
ボランティアは東京都民が1週間交代でつなぐ「第十三次都民ボランティア」
に出会ったくらいです。
博物館は、海側が全く窓のない構造で作られ、まるで壁が立っているようようでした。


内部を案内してくださった同館職員で、
90年代から岩手県の昆虫を徹底して調査されてきた砂田比左男さんによると、
この構造が標本の流出を防いだそうです。
引き波から、守ったのです。
今回の津波で最高(遡上高を除く)を記録した15、8mもの波が湾内を埋め尽くし、
次いで激しい勢いで沖合いへと全てのものを運びさりました。
砂田さんも両親を救出後、流れ去っていく自分の家の屋根を見守っておられたそうです。
館内は、すっかり整理されていました。大変な作業だったでしょう。

この中から大量の標本箱や植物標本を運び出し、
盛岡の岩手県立博物館を基地に、全国25の博物館に送り出されたのです。
手洗いの窓から外を見ると、瓦礫の整理が行われていました。
そこには、人々の暮らしがあったのです。

次に、岩手県立博物館に残っている、郵送不能な陸前高田市立博物館の標本です。
標本箱にして150箱ほど。
カビの発生を抑えるために、文書、植物標本とともに冷凍庫へ。

取り出された十数箱の修復作業にかかりました。

4日間作業の内、一日は一人、二日はアブの研究者で、内藤先生のハバチの研究に
強い関心を寄せられていた岩手県博の協力員千葉武勝先生がご一緒してくださいました。
そして一日は4人での作業となりました。

甲虫の修復は、比較的効果がありました。

チョウには、てこずりました。泥パック。

まず、ピンセットで泥を剥がす。

修復後。

ラベルのみの標本も。

ラベルのみの救出も。


藤井先生のご配慮で、現在の陸前高田市立博物館の担当者、砂田さんや熊谷賢学芸員ら4人が4時間近くかかって岩手県立博物館まで来てくださり、修復に当たっての基本的な考え方や手法について、ご意見を伺う事がことができました。お昼ご飯をいただきながら、貴重なお話を聞かせてくださいました。4人の内、3人までが家を失われたそうです。
冷凍庫の前で、打ち合わせをされる陸前高田市立博物館の4人(左側)。

陸前高田市立博物館は、現在、廃校になった旧出生(おいで)小学校に移り、再開に向けた活動が進められています。図鑑類もまったくないとのことで、全国の虫屋に協力要請がいりますね。
なお、千葉先生は私がカミキリ屋と知り、ミチノクケマダラカミキリの生息地へ車で案内してくださいました。

山では、ウスバシロが飛び、まだ春の延長のようでした。

藤井先生の上司のクマゲラの著名な研究者・F先生からは、「本州のクマゲラ」「本州産クマゲラの謎の生態を追う」の2巻のビデオを2セットいただきました。有効に使わせてもらいます。
最後に岩手山。岩手県立博物館の二階レストランからの眺めです。

啄木の「ふるさとの山に向ひて言ふことなし」
賢治の「グスコーブドリの伝記」の発想を得たであろう雄大なコニーデです。
反対側には、はるかに「遠野物語」の奥山、早池峰山がかすんでいました。
今回、私は花巻の宮沢賢治記念館、盛岡の啄木・賢治青春館、
網張温泉、鉛温泉にも親しむ機会を得ました。
山では、どこでもカッコウ、ホトトギス、ウグイスが鳴いていました。
どうか、皆さん7月の11日から18、19日ぐらいを目標に、標本レスキューと、
東北を味わう旅に出ませんか。ぜひ、三木までご連絡をください。
詳細は、災害支援委員会、理事会に諮った上で、追って連絡いたします。
(文責:三木進)